動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか

先日、ヒグマが山を降りてきて、街場にでてしまってヒグマが射殺された。当然人間は恐怖に慄くであろう。田畑に美味しい食べ物があれば、また当然の如く降りてくるであろうと考える人間は端的に射殺する。ほぼ人間はこの論理で動いている。このようなロジックは色々なところで散見される。一匹死んだところで生命圏に影響がないと考えているのだろう。というかそれすら考えていないだろう。自分さえ良ければ何も問題ないと考えているからだ。

ヒグマの食事は四分三は植物性のもので、雑食です。ヒグマは夏から秋にかけて冬眠のために脂肪を蓄えます。一週間に14キログラム太らせます。ということはそれ以上摂取しているということになります。草花、虫、鹿、羊、ヤギ何でも食べます!!

つまりヒグマ一匹がなくなるとそれだけ生命圏に影響が出るのです。誰も食べられないから問題ないとお考えの人もいるかも知れませんが、自然というものは捕食するものがいて捕食されるものがいてそれで調整機能が果たされているわけです。

捕食されないことで変に1つの種が増えすぎるとそれによりそれを捕食するものがドンドン増え、森が全て食い荒らされ荒廃することにもなりかねない。想像ができないくらい分派していくのです。自然の環の中にいず、捕食されることのない人間が自然の環に手入れすることほど危険なことはないのです。自然の体型を緻密なまでにわかっているわけではないから。

自然の体系を保つことが人間を保つことに繋がる。全てにおいて。環境も。

そして人間は動物たちを軽視している。動物は知性がないと考えるものが知性がない。

奇跡のリンゴの木村秋則さんは畑の脇に売れなくなった野菜を隅においておくと動物たちはそれを食べ、売り物の野菜には手を付けない動物たちは。

そんな訳無いだろうとか、動物が理解できるわけ無いだろうとか思うのは勝手だが、そのようなことが認識できないと人間が思っているだけで、動物たちは分別があると考えるほうが合理的である気がする。犬も猫もやっちまった時は死んだふりとか、スンマセンという表情をあからさまにする。わかっている。であれば、他の生き物もそのような分別をつけられる生き物である可能性は高い。カラスや鳥、猿、蜂などには数の概念があるらしい。想像を超えてくる。端的に人間が理解できないだけだと思う。

最初はご褒美のキュウリを喜んで受け取っていた左のオマキザルだが、隣のもう一頭がブドウをもらっていることを知ると…。

とにかく平気でヒグマを射殺している倫理観を是とするには疑義がある。

そのようなこと理解してもらうために本を紹介したいと思うよ。

【動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか】という本。コレ以外もおすすめしたい本をいくつか貼り付けておくので興味があったら読んでみて下さい。

内容紹介

進化の末に、動物は「賢さ」を獲得した。
それは人間も、サルも、カラスも、イルカも、タコも、みんな同じである。
われわれは自分たちだけが賢いと思っていないか?

心理学との境界線を行くユニークな動物研究の分野を開拓してきた著者が、
動物行動学の歴史から最新の研究まで、豊富な事例を示すとともに読者へと問いかける。
ドゥ・ヴァールが新たに提唱する「進化認知学」とは――

人間中心の科学から脱却し、動物の認知とは何かを見つめなおす。
驚きのエピソード満載、著者自身の手によるイラスト多数。待望の最新作!

●チンパンジーは食べ物のありかを知っていることを悟られないようにふるまう
●カケスは相手が何を欲しがっているか見極めてプロポーズの贈り物を選ぶ
●アシナガバチは一匹ずつ顔が違い、仲間の顔を見分けている
●タコは自分を攻撃した人間を覚えていて、怒りをあらわにする

ラットが自分の決断を悔やむ。カラスが道具を作る。タコが人間の顔を見分ける。霊長類の社会的知能研究における第一人者が提唱する“進化認知学”とはなにか。驚くべき動物の認知の世界を鮮やかに描き出す待望の最新作。

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