Deasil Engine ディーゼルエンジン
本来のスペルは「Diesel engine」なぜこのスペルにしたのかは謎。
燃費が良い 軽油なので安い 加速が良いディーゼルエンジン。
つまりこの世はガソリンが売れてナンボの世界統治の世の中であります。
ディーゼルエンジン (英:Diesel engine) は、ディーゼル機関とも呼ばれる内燃機関であり、ドイツの技術者ルドルフ・ディーゼルが発明した往復ピストンエンジン(レシプロエンジン)である。1892年に発明され、1893年2月23日に特許を取得した。
点火プラグを持っているのがガソリンエンジン、持っていないのがディーゼルエンジン。
シリンダー内で空気を圧縮することで高温にするという関係からディーゼルエンジンは、いわゆる圧縮比(シリンダー内の最少容積と最大容積の比)がガソリンエンジンに対して高めとなる。一方、ガソリンエンジンでは圧縮比を上げ過ぎると燃料が自己着火してしまうため、圧縮比は低めとなる。
失踪と死
1913年9月29日の夕刻、ディーゼルはロンドンでの会議に出席するため、アントウェルペンから郵便蒸気船ドレスデン号に乗船した。船上で夕食をとった後、翌朝6時15分に起こしてくれという言葉を残して、午後10時ごろ自室に戻った。
しかし、翌朝には彼の部屋は無人で、ディーゼルの姿はどこにもなかった。その部屋を調べてみると、ベッドを使った形跡がなく寝巻も畳んであったが、腕時計はベッドの左に外して置かれていた。彼の帽子とオーバーはきちんと畳まれた状態で後甲板の手摺の下に置かれているのが発見された。10日後、
オランダの船 Coertsen の乗組員が北海のノルウェーに近い洋上に浮かんでいる死体を発見。その死体は腐敗がひどく、人相もわからず、船に引き上げることもできなかった。その代わりに船員はピルケース、財布、IDカード、ポケットナイフ、眼鏡ケースなどを死体から回収している。同年10月13日、それらの品をルドルフの息子が父のものだと確認した。
ディーゼルの死については様々な推理がなされている。伝記を書いた Grosser は自殺の可能性が高いとしている。商売敵や軍による殺害とする陰謀論もある。しかし、いずれも証拠に乏しく推測の域を出ない。
ディーゼルの失踪直後、妻のマルタはディーゼルからその航海に出る直前に渡された鞄を開けてみた。ディーゼルはその鞄を渡すとき、翌週まで開けないように指示していたのである。中には20万マルクの現金と預金口座が空になっていることを示す書類が入っていた。