タートルバックの墓

亀甲墓(かめこうばか、きっこうばか、方音:カーミナクーバカ)は、墓室の屋根が亀甲形をした沖縄県に多く見られる墓様式。琉球王国時代は破風墓(玉陵が代表例)とともに士族のみに許された墓であったが、廃藩置県以後は庶民の間でも急速に普及した。戦後は火葬の普及とともに、より小型の家形墓に主流は移っている。沖縄では、本土にあるような塔式墓(四角柱形の石の墓)はほとんど見られない。

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※墓の各部名称は地域によって異なる。下記は一例。

  • ①ジョー(門)
  • ②ヒンプン(屏風)
  • ③ハカヌナー(墓の庭)
  • ④サンミデー(供物台)
  • ⑤コールイシ(香炉石)
  • ⑥ヒラチ(蓋石)
  • ⑦マユ(眉)
  • ⑧チジュ(頂上)
  • ⑨ウーシ(臼)
  • ⑩ワラビヌティ(童の手)
  • ⑪⑫スディイシ(袖石)
  • ⑬スディガチ(袖垣)

亀の甲羅状の屋根が覆う部分は、一説には母の胎内、そこから人が生まれてきた出生以前の胎内を意味していると言われる。中国の易経の世界観では、人の一生が、誕生以前の漆黒の闇を玄冬とし、青春(青年期)、朱夏(壮年期前期)、白秋(壮年期後期)を経て、老い衰えて目も見えず、耳も聞こえなくなると、再び死の闇に戻る。これで一生の円環が閉じるのだが、この四つの季節に方位の東西南北が当てられ、それぞれを四聖獣が守護するといわれ、北の玄冬(老年期)に充てられているのが、伝説上の亀の一種、玄武であることから、母体の中の闇の世界を亀の甲羅で覆ったのではないか、と考えられる。

古来日本列島全体に風葬の習慣があったが、沖縄県ではこの習慣がこの墓と融合し、死後数年間は遺骸を石室内に放置し、数年後に親族(特に長男の嫁)で洗骨して改めて厨子甕に納骨して墓室に収めることから、墓室内部は広く設けられている。近年では沖縄県でも本土同様に火葬するケースが多くなっていることから、小規模な亀甲墓も見られるようになってきており、集合霊園に骨壷が納められる程度の小さなものが設置されることも増えてきている。本土でも、移住先に墓所を設けた沖縄県出身者が小規模、もしくは一般的な墓石サイズの小さな亀甲墓を建立した例がある。

イスラム墓地

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