2011年3月11日から、自分の意識の方向性が拡張した。
時代はなにか急激にその頃から変わりだしているように見える。
ガラパゴス携帯からスマートフォン。
情報は多様化している。
今までそこまでそんなにおかしくないと思って安住していた社会のシステムは、実は結構腐っている事に見え始めた。
という自分も政治経済のありようなど、さほど考えたこともなく、せいぜい自分から3mぐらいの思考範囲がせいぜいなものであったと思う。
そのころやっと、原発と環境、原発と経済、原発と人間。
十人十色で答えはあるだろう。
しかし大半の人は思考停止に陥ってなにも考えないものが多くいた。
これはいったい何なのか理解できなかったが、GHQのウォーギルトプログラムが深いところまで人間心理に影響され能動的に考えられず、受動的な人間が多数いることが分かった。
この洗脳は根深い。
調べないし、本を読まない。
そういった習慣がないのだ。
これの根底は教育にあると思う。
あとお金についての教育がないのは、支配層と奴隷の社会システムを作るには都合がいいのだろう。
経済リテラシーのある親は経済リテラシーのある子供に教育するのだろうし、連鎖する。
すべてフェアな競争社会という幻想に過ぎないと思う。
イデオロギーの右派、左派というくくりでは、もはや限界を迎えているように思う。
社会のシステムを考えないといけない時代がもうすでにやってきている。
人工知能シンギュラリティと雇用の問題。通貨発行権、リフレ派や反リフレ派など。
監視社会、高齢化、いままでの定規じゃ収まらない。
そこで違う線を引いてくれるのが、
プラウト経済理論(進歩的活用理論)
である。インドの哲学者、社会改革者であったP.R.サーカーによって提唱された社会経済理論である。
臨死体験というスピリチュアルな視点で、政治経済を考えると、この理論が自分には腑に落ちる。
プラウトは、既存の資本主義や共産主義及びその経済学に対する代案でもある。
またサドヴィプラ(Sadvipra)とは、サンスクリット語で「明敏な知性を持つ者」を意味する。
サドヴィプラの本質的特徴はバランスの取れた精神を持つ人間となり、多くの人々の利益と進歩への無欲の献身を行うことである。
自分はこうありたいと思っている。
●「私たちは、一瞬たりとも忘れてはいけない。命あるものの世界全体が広大な結合家族であることを。
自然はこの富のどの部分をもいかなる特定の個人には割りあてなかった。
……宇宙の富のすべてが生きとし生けるものの共有財産であるとするならば、ある者が贅沢にふけり、ある者が食べるに事欠いて徐々に衰弱し餓死していくというようなシステムをどうして正当化できるであろうか。」 P・R・サーカー
●『プラウトは近い将来日本から必ず始まることになるだろう』P・R・サーカー
プラウトの5つの基本原則
P.R.サーカーは最初16の詩句のなかでプラウトを要約した(その5つは最も基本的であるとみなされている)。これはプラウトのもとで資源がいかに分配されるべきかをしめしたもので、自然資源と人間の両方のフィジカル(物的=身体的)な質、サイキック(知的=心的)な質、スピリチュアル(霊的・精神的=直観的)な質を認めることである。
①物質的な富の蓄積の否定
「いかなる人間も、集合体による明確な了解と承認なしに、物質的な富を蓄積することは許されない」
②宇宙の潜在力の最大限活用、合理的な配分
「宇宙の日常的な潜在力、超日常的な潜在力、スピリチュアルな潜在力のすべてが最大限に活用され、合理的に分配されるべきである」
③人間の潜在力の最大限活用
「人間社会の個体と集合体のフィジカル(身体・肉体的、物質的)な潜在力、形而上学的な潜在力、スピリチュアルな潜在力を最大限に活用すべきである」
④適切な調整
「これらのフィジカル、形而上学的、日常的、超日常的、スピリチュアルな活用の間で適切な調整がなされるべきである」
⑤状況に応じた活用の方法と活用の進歩的性質
「活用の方法は時、場所、人の違いに応じて変えられるべきである。そして活用は進歩的性質をもつべきである」
もしこの社会システムが何かおかしいと疑念に感じているのなら、もうひとつの線を描く意味でこの本を読んでもらいたい。現実に全てがプラウト理論で物事が進むほど政治は簡単なものではないかもしれないが、自分にとってなにか揺さぶらるものがある本である。
この辺も理解しておこう。