Druids ドルイド
ドルイドは、ケルト人社会における祭司のこと。
日本語ではドゥルイドとも表記する。女性形はドルイダス。
古代ケルト宗教であるドルイド教の祭司。
ケルト社会の最上位を占める階級をなし,王にもまさる精神的権威を認められ,宗教と魔術のほか,裁判や若者の教育,病気の治療などにあたった。
世襲制ではなくドルイドを志願する若者は、ときには 20年間にも及ぶ長期の修練の期間を経て伝承された秘儀的知識を習得しなければならなかった。
しかしその教説の内容は決して文字に記されることがなかったので、霊魂の転生の観念を含んでいたなど、いくつかの断片的事実のほかはまったく知られていない。
ドルイドたちは狂信的民族主義者であったためにガリア地方ではローマ帝国の迫害を受け、帝国の版図外のアイルランドなどでもキリスト教の進展に伴い衰滅したが、その記憶は民間伝承のなかに根強く残っており、ドルイド教の後継者をもって任じる運動や秘密結社のたぐいは、今日でもなおその跡を絶たない。
ドルイドは宗教的指導のほか、政治的指導、公私の争い事の調停と、ケルト社会に重要な役割を果たしていたとされる。
カエサルの『ガリア戦記』によれば、ドルイドの社会的影響力はかなり大きかったようである。
アイルランド出自のケネディ家は優秀なイルミナティ一族と見なされている。
ユダヤのダン族を源流とするバビロン的カラバ魔術とドルイドに行き着く。
ちなみにハロウィンはドルイドの生贄の儀式からきている。
ハロウィン
ハロウィン、あるいはハロウィーン(英: Halloween または Hallowe’en)とは、毎年10月31日に行われる、古代ケルト人が起源と考えられている祭のこと。
もともとは秋の収穫を祝い、悪霊などを追い出す宗教的な意味合いのある行事であったが、現代では特にアメリカ合衆国で民間行事として定着し、祝祭本来の宗教的な意味合いはほとんどなくなっている。
カボチャの中身をくりぬいて「ジャック・オー・ランタン」を作って飾ったり、子どもたちが魔女やお化けに仮装して近くの家々を訪れてお菓子をもらったりする風習などがある。
キリスト教の祭ではない。ハロウィンに対しては、本体キリスト教にとっては異教徒の祭りであったことから、キリスト教教会においては、容認から否定まで様々な見解がある。
ハロウィンで仮装されるものには、アメリカでは基本的には「恐ろしい」と思われているものが選ばれる傾向があり、たとえば幽霊・魔女・コウモリ・悪魔・黒猫・ゴブリン・バンシー・ゾンビなどの民間で伝承されるものや、吸血鬼や狼男・フランケンシュタインのような欧米の怪談や恐怖小説に登場する怪物が含まれる。
これのルーツはドルイド教からきているという説がある。
ドルイド僧は、エルフィン(火の神)を地下から呼び寄せ犠牲を奉げた。
背景では常にドルイドの音楽が激しく演奏されていた。
オカルトでは、一〇月三一日を「サムハイン」と呼ぶ。
古代ケルト人のサムハインSamhain祭が起源といわれる。これは死の神サムハインをたたえ,新しい年と冬を迎える祭りで,この日の夜には死者の魂が家に帰ると信じられた。
ハロウィーンにおいて、ドルイド僧とその支援者たちは、城から城へと、農奴から農奴へと渡り歩き、“Tric a Treat”(悪さをするぞ!)と回って歩いた。
Treat は城の王女や女性を人間の犠牲として要求することだった。
もしも、城からの Treat がドルイド僧の気に入れば、彼らは人間の脂肪から作られたろうそくに火が灯された“Jack O’Lantern”(かぼちゃをくり抜いたランタン)を置いて行った。
そうすればその城の中は悪魔により殺されることから守られた。
ドルイド僧の要求に応じなければ、玄関のドアに六芒星が描かれた。
これが“Tric”である。その夜、悪魔と彼の使いたちは、その家から恐怖の内に誰かを殺す。
ドルイド僧による音楽の呪術の鼓動は、夜の祭りの始まりから満ちている。
一人の男が犠牲者を襲い、彼女を容赦なく死の神 The Horned-Hunter ケルノス(ニムロデ)に捧げる。
それは地下のオーク(樫)神である。
イギリスにあるストーンヘンジとは、オカルト殺人の寺院だった。
(オカルトによる殺人は今でもアメリカの全てのハロウィーンで行われている。)
ストーンヘンジは、今でもオカルトの主要なシンボルである。
人間の犠牲は、毎年8回の国中のBlack Sabbaths(黒い安息日)の期間中にも行われている。腹を裂いたり、体を切り刻むことは常に行われているとも言われている、、、。
ドルイド教は非合法化されて地下に潜ったが、今日まで秘密裏に守られている。このドルイド教のシステムは、オカルト・イルミナティの最も重要な点である。
ウィッカーマン
ウィッカーマン(wicker man)とは、古代ガリアで信仰されていたドルイド教における供犠・人身御供の一種で、巨大な人型の檻の中に犠牲に捧げる家畜や人間を閉じ込めたまま焼き殺す祭儀の英語名称である。
英語でウィッカーマン(wicker man)という呼称は、編み細工(wicker)で出来た人型の構造物を意味する。
古代ガリアの宗教儀式としてのウィッカーマンについては、カエサルの『ガリア戦記』やストラボンの『地誌』の中で紹介されている。
『ガリア戦記』第6巻16節には次のような一節がある。
- Alii immani magnitudine simulacra habent, quorum contexta viminibus membra vivis hominibus complent; quibus succensis circumventi flamma exanimantur homines.
- ある者らは、恐ろしく巨大な像を持ち、その編み細工で編み込まれた肢体を人間たちで満たして、それらを燃やして、人々は火炎に取り巻かれて息絶えさせられるのである。
このような人身御供は、ガリアのローマ化によって絶えたと思われる。近世になって、ケルト人への関心の高まりとともに、ウィッカーマンは人々の好奇心をかきたて、(右の図のような)さまざまな想像画が描かれた。
類似の催しとして、アメリカ・ネバダ州の砂漠で巨大な木製人形を燃やす
「バーニングマン」がある。
バーニング・マンは、アメリカ北西部の人里離れた荒野で年に一度、約一週間に渡って開催される。
例年、8月の最終月曜日から9月の第一月曜日(米国の祝日「レイバー・デイ」である)までがバーニング・マンの会期とされている。会場となるブラックロック砂漠は、ネバダ州リノ市の約150km (90マイル) 北北東に位置する乾湖(Dry lakebed)である。
各参加者は、この「プラーヤ」(Playa)と呼ばれる何もない塩類平原(en)に街を作り上げ、新たに出会った隣人たちと共同生活を営み、そこで自分を表現しながら生き抜く。
そして一週間後、すべてを無に還す。
この実験的な地域社会はさながら都市の様相を呈し、みずからを「ブラックロック・シティ」(Black Rock City, BRC)と呼称している。
ブラックロック・シティは、直径2.4kmの大きな扇型の市街地と、中心部のオープンスペース、および周辺部からなる総面積約4.5平方キロメートルの五角形の街であり、そこで会期中に生活する人々の数は約5万人ほどである(2010年の主催者発表入場者数:51,454人)。
バーニング・マンという名称は、土曜日の深夜、街の象徴として場の中心に立ち続けていた人型の造形物「ザ・マン」(The Man)に火を放ち(burn)、それを完全に焼却することに由来する。