権力と公(おおやけ)と民主主義 共謀罪とは

共謀罪が成立しようとしている。テロ等準備法案。「テロ」は一切関係なく227の「等」である。言論封鎖である。恐ろしい事である。なぜ平然と社会が構えているのかわからない。ネット右翼はそんなことにならないと馬鹿にしているが、全く理解が浅いのだろう。

小林よしのり先生がワシは保守だが権力と公(おおやけ)が違うものであると言っていた。全く同感である。政府と国家の在り方は近いようで違うものである。分けて考える必要がある。権力側の力が大きくなってきたら、本当はマスメディアが抑止するものなのだが、迎合し全く機能不全に陥っている。国民が国を監視しなければならないのだが、立場が逆なのである。これはもう強権政治、恐怖政治なのだが、国民もイメージが湧かないのか、無関心なのか異常である。国民が憲兵がやってきて警棒で殴られる、歴史は繰り返す。完全な民主主義の崩壊が近い。政府の理不尽がまかり通る時代に突入する。気が付けばアメリカの完全な植民地化が完了することだろう。親米保守やネット右翼によって。

三島由紀夫はこう言っている。

「25年前に私が憎んだものは、多少形を変えはしたが、今も、相変わらずしぶとく生き永らえている。
生き永らえているどころか、驚くべき繁殖力で、日本中に完全に浸透してしまった。

・・・こんな偽善と詐術は、アメリカの占領とともに終わるだろう、と考えていた私はずいぶん甘かった。
驚くべきことには、日本人は自ら進んで、それを自分の体質とすることを選んだのである。政治も、経済も、社会も、文化ですら。

・・・私は、これからの日本に希望をつなぐことができない。
このままいったら、「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日増しに強くする。

日本はなくなって、その代わり、無機的な、空っぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るであろう。
それでも、いいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである」。

ネット右翼は権力と公(おおやけ)が一緒になっているから話がおかしくなるのだ。またそれは愛国ではない。公(おおやけ)を愛していないのだ。長いものに巻かれているだけなのだ。権力と公(おおやけ)を区別してもらいたい。当然権力と公(おおやけ)が同じ方向を見ているのが一番いい状態であるのだが、今の状況は政府の暴走である。

権力にこびている。また個人主義が跋扈している世の中、ウォーギルトインフォメーションプログラムが機能しているとしか思えない。大国は日本が一致団結されて世界の脅威になることを恐れているのだろう。自分だけの名誉、権力、富に溺れていく餓鬼である。世界はひとりではまわらない。皆とのつながりの中で生きていることを認識できていない。自分は自分。人は人。さらに人のものは自分のものぐらいなものまでいる、卑しい限りだ。

日本は昔は「家族」「親族」「地縁共同体」「経済的組織」「文化共同体」「国家」というものを認識していた。シンプルに明快にいうと「つながり」が大事なのである。

有事が起きたとき自分だけ海外に逃亡するという考えの方が普通にいる。自分の国が亡くなるというイメージが湧かず、自分の生命だけが大事。自分の金だけが大事。情けない。人間は死んでも魂は生き残る。そして輪廻する。カルマまみれな自分を後から振り返って後悔するだろう。

日本は侍の国だ。志というものをもってもらいたい。間違ってほしくないのは、戦争を賛美しているわけではなく、心のありようの事を言っている。第二次世界大戦は日本は大義があると自分は認識している。

だが大義のない戦争に加担するのも違う事であると思う。軍産複合体の捨て駒になるならその時の判断は個人の自由でいい、その時の国の志は死んでいるのだから、国家を憂う必要はないのだ。そこで戦争に加担するのは政府から国民への洗脳である。

また天皇は「おおやけ」つまりこの家族的共同体の全体性の象徴であり、また共同体全体の統合を象徴するので、天皇自身も「おおやけ」と呼ばれます。国家を憂い、国家に祈る大司祭である。自我をもつことができない尊い存在なのである。

わが国は、神武天皇の建国伝承以来、「八紘一宇」という状態を理想として来ました。「八紘一宇」とは、天の下が一つ屋根の家の家族のように仲良く暮らす状態、つまり今日的に言えば、世界が一家族である状態を意味します。

アインシュタインが日本を語った名言がある。

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「近代日本の発展ほど世界を驚かせたものはない。一系の天皇を戴いていることが今日の日本をあらしめたのである。私はこのような尊い国が世界に一カ所ぐらいなくてはならないと考えていた。世界の未来は進むだけ進み、その間幾度か争いは繰り返されて、最後の戦いに疲れるときが来る。そのとき人類は、まことの平和を求めて、世界的な盟主をあげなければならない。この世界の盟主なるものは、武力や金力ではなく、あらゆる国の歴史を抜きこえた最も古くてまた尊い家柄ではなくてはならぬ。世界の文化はアジアに始まって、アジアに帰る。それにはアジアの高峯、日本に立ち戻らねばならない。われわれは神に感謝する。われわれに日本という尊い国をつくっておいてくれたことを」