「意識」を語る スーザン・ブラックモア

ババババイブス!ガイニーです。おはようございます。

腐るぐらい本があるので処分しようと動いているのですが、もう一度さらっと読んで処分という運動を始めて、これは紹介しようと言う本があんまりないという事実。二度目は衝撃を受けないというか、なんなのか、処分できる本がたくさんある。

少しの間なら書庫にいれておくのもいいのかもしれないけど、ダラダラ本を入れておくのは駄目ですね。スペースの無駄。最初はうれしくて壮観だったけど、もう収容できずにダンボールで何箱もある。今の所4箱ぐらいは処分した。どれぐらいで終わるのだろうか、、、。

そして今あらためて思うのは、スピリチュアル系の本であくまでも、自分的にはですけど、おすすめできる本は非常に少ない。スピリチュアルを知りたければ、科学を知ることの方が近い気がする。書庫に戻す本は6割は科学の本です。2割が政治経済1割はスピとも科学でもない本。結局スピ系で残される本は一割ぐらいという結果になりました。

だけども読んでいる量は結構ある。だけども宇宙語とか書かれると自分は体験した不思議な範疇以外なので胡散くさいと思ってしまう。一応読むけど処分、その作者しか理解できないようなものは本当だろうがウソだろうがおすすめできない。信じるに足る根拠がほしい。

科学を調べたほうが真理に近い気がする。感覚的に

仏教と量子力学とかヤバイ。この整合性。最初はこの2つを追うといろいろわかってくる。

今の科学はそこまできている気がする。超越科学。加速器とか。

でもってリアルな世界では自分があってきた科学者は、二通りいる。ひとつはサラリーマン科学者みたいな道をなぞってる科学者。エビデンスの中の提示されている中でしか考えないから、小さい世界でまとまってるやつばっかでつまらない。教科書と喋っているみたいだ。まぁそれが科学者なんだけど。なんでもかんでも飛躍したことを言うと速攻否定してくる。じゃないとこの日本の社会で生きていくことが難しいのだろうなとも思う。

でも本気で道なき道を行く大仕事をやっている科学者は柔軟に物事を考えている。間口は広く、削ぎ落としていく考え方。否定はしない、自分にはわからないという。かっこいい。

ガチで道なき道を行く科学者は科学の世界は狭いということを知っているからこそ、いろいろな方向で考え、道なき道を行くにはマインドセットしてフラットに物事を考えている。

そして塩漬け気味になっていて、忘れ去られていた本を今あらためて読むとめっちゃ面白い本がある。その本がコレ!

「意識」を語る スーザン・ブラックモア

スピリチュアルの本読んで科学の本読んで一周回って返ってきたときに読む本なのかもわからないけど、自分が意識に対してこうであると言う基準があってから読むと面白い。

この本はスーザンブラックモアさんが書いている本で、他の本ではミームの本を出している。

ミームmeme)とは、文化を形成するDNAのような情報である。人類の文化が形成されるプロセスを説明するための概念であり、例えば習慣や技能、物語といった文化的な情報である

文化的な情報は会話、人々の振る舞い、本、儀式、教育、マスメディア等によって脳から脳へとコピーされていくが、そのプロセスを進化のアルゴリズムという観点で分析するための概念である(ただしミームとは何かという定義は論者によって幅がある)。ミームを研究する学問はミーム学(Memetics)と呼ばれる。

ミームは遺伝子との類推から生まれた概念である。それはミームが「進化」する仕組みを、遺伝子が進化する仕組みとの類推で考察できるということである。つまり遺伝子が生物を形成する情報であるように、ミームは文化を形成する情報であり、進化する。

引用:Wikipedia

でこの本はスーザンさんとのいろいろな科学者との対談方式でインタビュー形式で書かれている。

意識とはかなり掴みどころのないものであるだけに科学的に難しいのだろうし、極端に言えば意識なんてもんはないすべて脳が判断していると認識している人から、意識とは魂的なものだと認識する人までいる幅の広い問題である。

これからの時代、意識とは何かというものを自分なりに答えを出しとかないといけない時代に入ってきている。というのも、SpaceXのCEO、イーロンマスクによれば「コンピューターと人間がさらに一体化すること」を今目標にしているニューラリンクと言う会社も存在する。これからの時代、仮想現実と現実の境ドンドンわかんなくなってくる事は間違いないだろう。その前に意識とはなんなのか今持って見つめ直してもらいたい。時代が来る前に。でないと簡単に脳にインプラントされるよ。

ちなみにクオリア問題なんだけど、クオリアとは簡単に言えば、クオリアとは「感じ」のことである。「イチゴのあの赤い感じ」といっても自分と誰かが同じ赤を見ているのかはわからないわけじゃないですか?質感みたいなものを共有しているかは謎なわけである。もう少し言うと、自分が赤と認識している色を人は緑と認識している可能性もあるわけで、自分は色覚異常ではないと思うなのだけど、ネットで色を判定するテストで一色全くわからなかった。パソコンのグラフィックボードの関係とか初期条件とか違うので本格的なテストではないのだけど、もしかしたら他に人と色彩に受けている感覚はもしかして違うのかも知れない。これを学生さんに話すと三分の二の人は理解できるけど、三分の一はまったく理解できないらしい。これはいわいる哲学的ゾンビなのではないのか。というか、なぜ理解できないのだろうか?この学者さんは脳機能にアクセス障害があるのではないかと言っている。とにかくなんか凄い話だわこれ。自分の妄想がつながって本当にこの現実は仮想現実なのではないだろうかとか思ってしまう。これを科学者なので多角的に仮説をバンバン投げてくるわけです。めっちゃ面白いですこの本。だけども、初心者が読んだら塩漬けまっしぐらな本なので、意識についていろいろ勉強している方に向いている本です。超絶ヤバスというわけで、後は読んでください。