シンバイオニーズ解放軍
Semiconscious liberation armyとは意識が半分薄れた解放軍、朦朧とした解放軍の訳になるが、これはシンバイオニーズ解放軍(シンバイオニーズかいほうぐん、Symbionese Liberation Army:SLA)のことだろう。
SLAは反資本主義・貧困層解放を掲げるアメリカの左翼過激派組織。
共生解放軍とも呼ばれる。
人種差別の撤廃や富の平等を主張したが、その実態はFBIも知らなかったような少人数集団(1974年当時8人)で、リーダーは若い時から刑務所で過ごした黒人の脱獄囚だった。
メンバーは全員、英語ではない名前を付けた。
最初のテロ事件を1973年11月6日に起こす。
この時の教育委員会委員長殺害容疑でメンバー2名が逮捕された。
彼らを釈放するために、残りのメンバーは大富豪の娘パトリシア・ハーストを誘拐する。
1974年2月4日、サンフランシスコのカリフォルニア大学バークレー校の学生パトリシア・ハーストはアパートに婚約者と一緒にいた時、侵入してきた暴漢に連れ去られた。
それから共生解放軍(以下SLA)からの犯行声明が届き人質の肉声を納めたカセットテープも添えられていた。
最初は身代金と同志の釈放だったが戦術変更し父親に対し「カリフォルニア州の貧民6万人にそれぞれ70ドル分の食料を与えよ」と命令した。
合計で420万ドルとなり、いくら大富豪といえどもこれはさすがに無茶な要求だったが、やむなく実行し始めた。
ところが4月3日に彼女がメンバーになったことを宣言するテープと写真が送られてきた。その後SLAがおこなった銀行強盗に彼女も参加しその姿が防犯カメラに写っていたことからアメリカ中を震撼させることになった(これは、現在ではストックホルム症候群によるものと考えられている)。
しかし、FBIの必死の捜索によってアジトが発見され5月17日に多数の武装警官が包囲した。そして銃撃戦となり居合わせたメンバーは全員死亡した。
一方パトリシアは他の二人の同志とともに、その場にはいなかった。復讐を誓って逃亡していたが銀行強盗をしたあとの1975年9月18日に逮捕される。
逮捕後まもなく洗脳が解け、ここにきて実質的にSLAは崩壊した。
パトリシア・ハースト誘拐事件でその名が知られるようになったが、1975年に壊滅した。