悟りについて語る

悟りとは、知らなかったことを知ること、気がつくこと、感づくことを言う。

覚りとも書く。

宗教上の悟りは迷妄を去った真理やその取得をいう。

自分は臨死体験をして宇宙とのつながりを感じ五次元体験をする。

普通の人から見たら精神がおかしいのだろうと疑念を抱くだろう。

自分も経験するまでは自分もそう思っていた。

深い浅いはあるかもしれないが、恐らくこれが悟りだと思う。

「小さな悟り」は「大きな悟り」につながっている。

見えないものを見る力が臨死体験後半年間ぐらい霊力的なものがあった。

今はあんまりわからなくなってきたのだけれど、、、。

修業したわけでもないけど、たまたま臨死体験をして垣間見た。

涅槃とかニルバーナみたいなものを見てしまったわけですが、これはおそらく修行者達が荒行などによって生死の境で垣間見たものも同じだと思う。荒行はそもそもススメていることではないらしい。

ちなみにシッダルダは苦行は違うみたいなことを言っている。

仏教の世界は色々辻褄が臨死体験的にも科学的にもあう。

釈迦の弟子で悟った人は8万4000人もいます。

つまり、悟りは難解なものではなく、誰にでもできるものだったのです。

実は、悟りとは悟ることよりも悟ったあとにどう生きるか?のほうがはるかに重要であり、釈迦が伝えたかったのも悟ったあとのことでした。

悟りとは

分析の結果、「悟り」には5つの基本的な要素があり、
それは概してすべての人に共通だ、という画期的な結論が得られた。

1 一体感やつながりの感覚
2 信じがたいほど強烈な体験であること
3 明瞭な感覚と根本的に新たな認識
4 明け渡しの感覚、自発的コントロールの喪失
5 自分の信条や人生観、目的意識などが突然、恒久的に変わってしまった感覚

修業してなにか垣間見たならプロセスが理解できているのでそれをレクチャーするのだけど、たまたまだからどうしたらそれを感じられるかのプロセスを語れないのだけど、いろいろ悟りについての本はある。

真実は人間体験しないとわからない。

人が言ってたからといって簡単に信じられる人は騙される危険がある。

科学は調べていくと意外に悟りに近いというか、いやそれは悟りの概念ではないかと思うことがある。

なので修業して涅槃を垣間見るか、科学を勉強するかで見ても見なくてもこれはあると確信できる領域まではいくだろう。

SFではなく本当にあるというかそれを見ているものが沢山いる。

自分だけじゃなく、ゲノムに書き込まれているのかなんなのかはわからない。

だが、それを知覚した人間がいることは間違いない。

そして自分と同じようなことを言い出している人が多くなってきている気がする、世界的に。

インターネットの恩恵かもしれないが、。

とにかくなにかの時が来ている気がする。

ならべくその時が来る前に電波の伝わる人たちだけにでもいろいろ伝えておかないといけない気がする。

見えないものを見る力がない人にはなにを言っても伝わらない、また目が覚め始めている人、また覚めている人達はどんどんアピールしていかないとまずい気がする。

人々に祈りと瞑想を!

ジェフ・リーバーマンという映画監督が悟りについて語っている。