ポルトガル人が日本人に1543年に初めて接触したのち、16〜17世紀を通じ、ポルトガル人が日本人を奴隷として買い付け、ポルトガルを含む様々な場所で売りつける大規模な奴隷交易が発展。
秀吉はポルトガル人とイエズス会をこの奴隷交易について非難し、キリスト教への強制改宗が禁止。
バテレン追放令 pic.twitter.com/mUdTQ48qo3
— GAIA FORCE TV ღ (@GAIAFORCETV) November 17, 2019
カトリック教会の性的虐待事件(Catholic sex abuse cases)とは、21世紀に入ってローマ・カトリック教会を揺るがしている聖職者による児童への性的虐待問題のことである。2010年3月28日には、ロンドンで当該問題に対するローマ・カトリック教会の責任を問い教皇ベネディクト16世の退位を要求する抗議デモが行われる事態に発展した
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イエズス会の資料には、ローマ法王には新生児の儀式的殺人を行う特権が与えられていると記されている。さらにベネディクト(前)法王は第2次世界大戦中に生贄儀式を行う闇の騎士団に所属していたことが分かった。
証拠資料によると、ローマ・カトリック教会と英国教会は、世界中に児童売買ネットワークをはり巡らせ、世界中の児童を拉致し、生贄儀式では、児童を強姦したり、拷問を加えたり、殺害していた事が分かった。
2人の若い女性被害者らは、2009年と2010年に、第9サークル(児童生贄ネットワーク)による恐怖のカルト生贄儀式の中でホルヘ・マリオ・ベルゴリオ(後にフランシスコ法王)に実際に拷問を加えられ強姦されたと法廷で証言した。
生贄儀式の目撃者(被害者)の証言によると、儀式に参加した者(教会の指導者)たちは、儀式中に新生児を石の祭壇に載せ、身体を細かく切断した後、新生児の血を飲み、肉や骨を食べたことが分かった。
被害者の証言では、1960年代に行われた生贄儀式には、ベネディクト(前)法王、枢機卿のダッチ・カーディナル・アルフリンク(Dutch Cardinal Alfrink)、そしてベルンハルト・ファン・リッペ(オランダのユリアナ女王の王配)などが参加したことが分かった。
最近では、2009年と2010年に、オランダとベルギーで行われた生贄儀式中に新生児が殺害された。
このような生贄儀式には、カトリック教会や英国教会だけでなく、英国王室、ベルギー王室、オランダ王室が関与していたことが分かった。彼らはカナダのブラントフォード居住学校からインディアンの子供たちを拉致し、儀式中に殺害していた。
1942年と1945年には、カナダに住んでいたオランダのウィルヘルナ女王と彼女の家族(オランダ王族)がインディアンの学校で行われていた第9サークルの生贄儀式に参加していた事が分かった。当時、カナダ政府はカナダに住むオランダ王族に治外法権を与えていた。
ウィルヘルナ女王、ベルンハルト・ファン・リッペ王配、ヘンドリック王を含むオランダ王室とベルギー王室は、カナダのインディアン居住学校の児童やインディアンの新生児の強姦、殺害に関与していた。
イエズス会の命令に従い、新しい法王が就任される度に、新しい法王が参加する第9サークルの生贄儀式が開催され、そこで新生児が生贄にされていた。イルミナティ・カルトと呼ばれる第9サークルは18世紀初頭にイエズス会によって創設されたが、既に16世紀から、ローマのカトリック寺院などでも同様の生贄儀式が行われてきた。
証拠資料によると、これらの生贄儀式はイエズス会により何世紀にもわたり行われてきたことが分かった。儀式用に新生児が拉致され、殺害されてきた。儀式の参加者らは、霊的パワーを得るためとバチカンの教皇職の安定的な政治的地位を維持するために、殺害した新生児の血を飲み、骨を食べていた。
18世紀以来、ローマ・カトリック教会、イエズス会、そして全ローマ法王がこのような生贄儀式を開催してきた。これらの生贄儀式は単なる大量虐殺ではなく、きちんと制度化された組織的犯罪である。従ってローマ・カトリック教会、イエズス会、法王が告訴されることとなった。
ブリュッセルにある国際慣習法裁判所から、
ある大物人物に対しての逮捕状が交付された。
「カナダの先住民であるモホーク族の寄宿舎において、
推定5万人以上の子どもたちに対して虐殺を行ったというもの」
その罪に対して、懲役25年仮釈放なしの有罪判決が、
ローマ教皇ベネディクト16世、英国エリザベス女王そして…
カナダ首相など30人に対して下された。
モホーク族とは、カナダにイギリス人やフランス人が
移住してくるはるか昔から住んでいたネイティブ・カナディアン。
カナダ政府とヴァチカン、イギリス王室は、モホーク族の子どもたちに
キリスト教の教育施すために、全寮制の教会学校を作ったのだ。
しかし、その真の目的はモホーク族を根絶するためだった。
それを証拠に、殺された子どもたちの大量の骨が寄宿舎周辺から見つかった。
この組織的殺害は、1960年代から行われ1970年まで続いていたという。
モホーク族の子どもが7歳になれば、この寄宿学校に強制的に入れられた。
教育とは名ばかりで、中ではおぞましい行為が繰り広げられていた。
子どもたちを天然痘にわざと感染させ、ワクチン開発のための人体実験を行う。
食事を満足に与えない。精神的、肉体的に苦痛を伴う拷問。性的虐待。
そして、実際に子どもたちを殺害していたのだ。
その殺し方が残忍で、子どもたちは機械で手足を引きちぎられていたという。
実際に、体を引き裂く器具も発見されている。