「外に媚び、内を脅かす者は、天下の賊である。」 吉田松陰
松陰は文政13年8月4日(1830年9月20日)生まれ。
嘉永6年(1853年)、ペリーが浦賀に初来航。翌年にはペリーが日米和親条約締結の為に再航しており、
安政5年(1858年)、幕府が無勅許で日米修好通商条約を締結したことを知って松陰は激怒したと言われている。
翌年の1959年10月27日に満29歳で斬首刑に処されたが、この文言はその1959年頃のものとされているようだ(要検証)。
つまり、この松陰の文言における、「外」は米国であり、「内」は日本国内であり、「天下の賊」は幕府=当時の政府である。