「トリノの聖骸布」(Shroud of Turin)
shroud of turinとはトリノの聖骸布。
聖骸布(せいがいふ、Holy Shroud)は、キリスト教でいう聖遺物の一つで、イエス・キリストが磔にされて死んだ後、その遺体を包んだとされる布。
イエス・キリストの風貌を写したという布には、聖ヴェロニカの聖骸布、自印聖像など、複数あったといわれるが、ここではただ一つ現存するトリノの聖ヨハネ大聖堂に保管されている「トリノの聖骸布」(Shroud of Turin)を解説する。
特徴
本体は、縦4.36m、横1.1mの杉綾織の亜麻布(リンネル)である。
生成りに近い象牙色の布の上に、痩せた男性の全身像がネガ状に転写されているように見える。
裏には当て布があてられ、はがすと人物の姿は見られず、血の染みのみが見られる。
布上に残された全身像の痕跡から、頭を中心に縦に二つ折りにして遺骸を包んだと見られ、頭部、手首、足、脇腹部分には血痕が残っている。
また、1532年にフランス・シャンベリの教会にて保管されていた際に火災に遭い、その一部を損傷した。
聖骸布は、その「発見」の時点で、地元の司教から詐欺的なシロモノであると報告されていたのだが、長き言い伝えと共に、キリストの遺骸を包んだ布であると信じる人が一定数存在してきた。
根本的なところとして、肝心の聖書に「遺骸をくるんだ布に像が映りこんだ」といった記述がない、頭と胴体を別の布で包むという聖書時代のユダヤの埋葬慣習に反する、キリストと同時代の遺跡から発掘される布とはまるで織り方が違い、技術的には中世の織り方をしているといった問題もある。
さらに、像の容貌にヨーロッパ人の特徴があるので、聖書時代のパレスチナ人ではありえないとも言われる。
これまでにも一般公開された機会などに合わせて、専門家による真贋の科学的調査が進められてきた。
1988年の調査では、オックスフォード大学、アリゾナ大学、スイス連邦工科大学の3機関において、考古学などで資料年代推定に用いられる放射性炭素年代測定(炭素14法年代測定)が行われた。
その結果、この布自体の織布期は1260年から1390年の間の中世である、と推定された。デモレーのものという説が強い。
聖骸布の人物がモレーだという論拠として炭素14年代測定法があげられてました。
多分、1988年の調査で出た「聖骸布は1260~1390年のものである」との結果。
モレーが処刑された1314年と一致する。
ジャック・ド・モレー (Jacques de Molay、1244年 – 1314年3月18日)は、第23代目テンプル騎士団総長にして、最後の総長であった人物。
テンプル騎士団初代総長ユーグ・ド・パイアンと同じくらい有名である。
ブルゴーニュ地方の小貴族の子であったとされるが、その人生の2/3はよくわかっていない。
聖地から追われた後、一つの王国以上の資産を擁していた騎士団の財政をうらやんだフランス王フィリップ4世により、異端の濡れ衣を着せられ、異端審問のうえ有罪とされた。
パリ・シテ島の刑場で火刑に処された。
亡くなる前にフィリップ4世とローマ教皇クレメンス5世らを呪ったとされる(1314年にフィリップ4世とクレメンス5世は急死している)。
また、カペー家直系の断絶をも呪ったと言われ、これも実際1328年にフランス王位はヴァロワ家に継承されている。
モレーの優れた騎士道精神にちなんで名づけられたフリーメイソンの関連団体「デモレー」がある。 デモレーは12歳から21歳の若者のための人格育成を目指している組織である。