東日本大震災から6年を前に警察庁が震災による被害状況を発表し、行方不明者はいまだ2554人に上るということです。いまだ3万3854人が仮設住宅での暮らしをされています。
黙祷という祈りを捧げましょう
六年たって個人的に思うのは、なにかこの日を境に自分の中での変化は想像を超えている。関東の人間なのだが、震災鬱から臨死体験をしてしまう。(内容はこのサイトのはじめにを読んでもらいたい。)宇宙、次元、神を垣間見たのかもしれない。震災と臨死体験は自分の生き方のありようを変えた。ようで人生は繋がりがある。漠然とした何かを見るためにそれを昔していたのではないかという事がよくある。不思議。受動意識仮説的な。未来が過去に流れる量子的な。
あと当初思っていた世の中の感覚というかリテラシーというか、もどかしさを覚えるのはいまだに日常茶飯事だ。3S政策が機能しているのか、政治に無関心であるのか、考え方のアフォーダンスなのかはわからないが、すべて社会に依存していて、自律的に思考している人が圧倒的に少ない。思考停止状態である。
そしてこの6年間政府はくっきり、はっきり嘘をつき続けているのに皆が関心がないからこのありようである。そのつけは必ず自分に返ってくる。気が付いた時に取り返しがつかない事にならないよう祈るばかりだ。
「天災は忘れた頃にやってくる」
日常にいつか非日常が突然やってくる。これもまた普遍的なものだ。必ず次の非日常がやってくる。その時の準備をしているのだろうか?いまだ備えてない方は今すぐ備えを調整するべきだという事をお伝えしておきたい。
その時に準備をしてこなかったものの浅ましさを見たくない。
平和の中にうずもれていると自分のこと以外、関心がなくなる、それが人間なのだろう。
3.11を1000本超の動画でふりかえる「東日本大震災公開動画検索システム」というのがある。非日常とは目を覆いたくなるに日常をはるかに超えた現実だ。この現実に向き合っていかなければならないと改めて思う。
祈れ、そして備えよ!blessed!
モニュメントがイルミナティを連想させる。