高校や大学教員ら約400人でつくる「高大連携歴史教育研究会」(会長=油井大三郎・東京大名誉教授)が、教科書や入試で覚えなければならない歴史用語の精選案を公表した。
「高校の日本史、世界史で学ぶ用語を現在の半分弱の1600語程度に減らすべきだとする提言」
しているわけだが、これはイルミナティが歴史から見えないようにするべき提言である。
幕末からセカンドアメリカとして育てられ、日本人は誰も気が付かない。
これについて解説しようと思う。愚民化政策は現代も続いている。
なにを洗国しようというかは、歴史認識、ヒエラルキーと権力者とは何なのかを削除しようという点である。支配層側から面倒な記述を削除していると思われる。
「士農工商」はすでに 高校までの歴史教育では抹殺されています。
なので今回はバイブススコープが何を隠そうとしているかを開示したいとおもう。
オデュセイア
オデュッセウス(古代ギリシャ語: Ὀδυσσεύς,Λαερτιάδης、ラテン文字転写: Odysseus)は、ギリシア神話の英雄で、イタケーの王(バシレウス)であり、ホメーロスの叙事詩『オデュッセイア』の主人公でもある。
トロイの木馬はトロイア戦争に関する逸話の一つである。10年におよんだトロイア戦争の最後の年にギリシャ軍は木馬の計略を考案した。巨大な木馬を建造し、その内部の空洞に選りすぐりの戦士を乗り込ませたのである。残りの軍勢は去ったように見せかけてテネドス島に隠れた。トロイア人はその木馬をみると、ギリシャ軍がついに撤退して、敗北の印に木馬を贈っていったものと思い込んだ。木馬を市内に引き入れるとトロイア市民は祝宴を開いた。全市民が酔って眠りこけたとき、木馬から兵士が出てきて町の門を開き、外部の軍勢を呼び込んだ。こうしてトロイアは陥落し、戦争は終わったのである。
《トロイア戦争で、ギリシャ軍がトロイア軍を攻略するため、兵を巨大な木馬にひそませて侵入したという故事から》
1 正体を偽って潜入し、破壊工作を行う者のたとえ。
2 有益なソフトウエアに見せかけて、コンピューターのデータ消去・改竄 (かいざん) ・流出などの破壊活動を行うプログラム。
ハンニバル
ラテン語には「戸口にハンニバルがいた (Hannibal erat ad portas) 」、「危険が迫っていた」という意味の格言がある。転じて、イタリアでは今でも子供が悪い事をすると「ハンニバルが来てあなたを連れて行ってしまうよ」と叱ることがある。ハンニバルが未だに恐怖の代名詞となっていることがうかがわれる。他方、ローマ人に制圧されてきた国では、彼らがカルタゴの後裔であると否とを問わず、ハンニバルを英雄として称える場合がある。
ウパニシャッド
ウパニシャッドとは、サンスクリット語で「奥義書」とか「秘教」を意味しており、ヴェーダの総仕上げとして位置づけらた著作群だ(なので『ウパニシャッド』という名前の著作があるわけではない)。 全部で200以上の著作がウパニシャッドを構成しているが、いずれも著者は不明だ。
韓 非
韓 非(かん ぴ、拼音:Hán Fēi、紀元前280年? – 紀元前233年)は、中国戦国時代の思想家。『韓非子』の著者。法家の代表的人物。韓非子とも呼ばれる。
古代中国の思想書「韓非子」はよくマキャベリの「君主論」と比較されることが多い。
どちらも、統治者に、人民統治のための術策を指南している点で共通しているからである。
「韓非子」も「君主論」も人間不信と現実主義に基づく点で、権力者にとっては魅力ある書なのかもしれない。
だが、「韓非子」が「君主論」と決定的に異なる点がある。
「韓非子」は、君主による統治の道具としての法の重要性を説いているからである。
この点、統治の道具として軍事力を最重要の力と主張する「君主論」とは異なる。
だが、「韓非子」の法治主義は、後の西洋の法治思想とは全く異なる。
「韓非子」によれば、法律、特に刑法は、人民統制の道具であり、人民に恐怖を与えることにより、君主に従属を要求する道具である。
本書は、そんな「韓非子」の権謀術策の面を十二分に紹介している。
金瓶梅
『金瓶梅』(きんぺいばい、拼音: )は、明代の長編小説で、四大奇書の一つ。著者は蘭陵の笑笑生ということになっている。万暦年間(1573年 – 1620年)に成立したと考えられている。序にあるように猥書すなわち官能小説として知られ、しばしば発禁処分をうけた 。タイトルの『金瓶梅』はストーリーの中心となっている3人の女性、潘金蓮、李瓶児、春梅(龐春梅)の名前から1文字ずつ取ったものである。
『水滸伝』から西門慶と潘金蓮の密通のエピソードを借りて発端とし,そこから色と欲の世界を繰広げた小説。山東の豪商西門慶があらゆる不正な手段を用いて富と権勢を手に入れ,彼を取巻く女性たちと悦楽の限りを尽すが,ついに淫薬を飲みすぎて急死するというのがあらすじで,書名は主要な3女性潘金蓮,李瓶児,龐春梅から1字ずつとったもの。その露骨な性描写はたび重なる発禁を招いたが,宋に時代を借りつつ実は当時の社会風俗を浮彫りにし,そこにうごめく人間の欲望を赤裸々に描き出した筆力は凡庸なものではない。
綿密かつ巧みに描写されている富裕な商人の風俗や生活には、明代後期の爛熟した社会風俗が反映している。
トゥール・ポワティエ間の戦い
トゥール・ポワティエ間の戦い(トゥールポワティエかんのたたかい、フランス語: Bataille de Poitiers、アラビア語: معركة بلاط الشهداء)は、732年にフランス西部のトゥールとポワティエの間で、フランク王国とウマイヤ朝の間で起こった戦い。ツール=ポアティエの戦いとも表記する。
イスラーム勢力、ピレネーを越える
720年にはピレネー山脈を越えてガリア侵入を開始した。アキテーヌ公のユードはフランク王国に救援を依頼したが、混乱の続いていたメロヴィング朝の王には抵抗を組織する力はなく、その中心となったのは、宮宰であるカロリング家のカール=マルテルだった。カール=マルテルはフランクの騎士を動員し、732年、中部フランスのトゥールとポワティエの間で、7日間にわたりイスラーム軍と戦い、撃退することに成功した。
Episode イスラーム側から見たトゥール・ポワティエ間の戦い
なお、この戦いは、イスラーム側ではアブド=アッラフマーン=アルガーフィキーの率いるムスリム軍が、ローマがかつて築いた敷石道の近くで多数の死者を出した戦いとして「ビラート=アッシュハダー(殉教者たちの敷石道)の戦い」とよんでいる。キリスト教側は大勝利として記録も豊富だが、イスラーム側は数多くの戦闘のなかの一つとしてしか捉えていず、記録は簡潔である。イスラーム側にはそれ以上の侵入の意図はなく、戦利品を獲て撤退すればよいと考えていたらしい。
エンリケ航海王子
エンリケ航海王子は、ポルトガル王国の王子であり、自らは航海しなかったが、大航海時代の初期における重要人物の1人である。アヴィス王朝を開いたジョアン1世の子であり、後に初代のヴィゼウ公となる。 名は単に「エンリケ王子」だが、歴史資料などにおいても、「航海王子」の称とともに呼ばれていることが常である。
バロック式
バロック建築は、彫刻や絵画、家具などの諸芸術が一体となった総合芸術となっていることを特徴とする。現代的な視点では、彫刻や家具といったものは建築とはあまり関わりなく存在しているが、バロック建築において、これらは建築とは不可分の要素であった。このような芸術活動には、莫大な知識の集積と多くの芸術家を抱えられるだけの資本が必要であったが、これを支えたのが世俗化された教会権力と絶対王政であった。
北虜南倭 ほくりょなんわ
中国,明代における南北の外患をさす。北方からはモンゴル人が侵入し,南方の沿岸には倭寇(わこう)が威を振るった。明朝は自由貿易を許さず,朝貢の形式を固執して貿易を制限,ために外国人の不満が高まり,侵入と略奪が繰り返された。
アンシャン・レジーム
アンシャン・レジームとは、フランス革命以前のブルボン朝、特に16~18世紀の絶対王政期のフランスの社会・政治体制をさしている。アレクシス・ド・トクヴィルが『アンシャン・レジームと革命』、イポリット・テーヌが『近代フランスの起源』を著した事によって歴史用語として定着した。
ロベスピエール
ロベスピエールは「ルソーの血塗られた手」といわれ残酷。 絶対王政の圧政を覆して民衆のための共和制国家を築きあげ、王政を復活させないようにすることがフランス革命の目的で権力を掌握した後に、公安委員会などを通して恐怖政治を行って処刑が貴族や平民も大量のギロチン犠牲者を出した。
水力紡績機
ウォーター・フレームとも。アークライトが発明,特許を得た紡績機。異なる速度で回転する2対のローラーで繊維束を延伸する。水車を動力とし連続的作業で強力な糸を紡出,それまでのジェニー機では困難だった綿経糸(たていと)の大量供給を可能とし,産業革命期の英国綿工業確立に大きく寄与した。産業革命と帝国主義、大量生産できるようになって支配するものとされるものが明確化した。
メッテルニヒ
[1773~1859]オーストリアの政治家。1809年以来外相・首相として約40年間国政を指導。ウィーン会議を主導して、保守主義と正統主義によるフランス革命以前の体制への復帰を主張。その後1848年の革命まで、国際的な反動体制「ウィーン体制」の中心的役割を果たした
ドストエフスキー
フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキーは、ロシアの小説家・思想家である。代表作は『罪と罰』、『白痴』、『悪霊』、『カラマーゾフの兄弟』、『未成年』など。レフ・トルストイ、イワン・ツルゲーネフと並び、19世紀後半のロシア小説を代表する文豪である。
罪と罰
独特な思想に染まった青年ラスコーリニコフが、金貸しの老婆を殺して金を奪うが、思いがけぬ巻き添えを出したり、苛酷な環境でも高貴に生きる娼婦の姿を見たりして苦悩し、その考えを変えていく。
世界各国で、合計10回以上は映画化されている。手塚治虫等による漫画作品も多い。
ドストエフスキーの代表作であるが、前述の通り、当の本人はかなりギリギリの状態でこれを書いていた。この頃の彼は、最初の妻と兄に相次いで先立たれ、新しい恋人には不倫された上に愛想をつかされ、その寂しさから原稿料を全てギャンブルで散在して一文無しになるという、まさにどん底の状態だった。
白痴
俗に「世界最高の恋愛小説」などと喧伝されることもある作品。
完全無欠と言っても良い善人であり、ドストエフスキー自身が「白痴」と呼ぶほどに純粋なムイシュキン公爵を主人公として、彼を愛する美女達と、彼女達への愛に狂う男たちとが巻き起こす騒動を描く。
悪霊
革命組織の内ゲバの末に構成員が殺された「ネチャーエフ事件」を基にした作品。
タイトルの悪霊とは、聖書に登場する、豚に取り付いて湖へ身投げさせる霊のことを指す。
重篤なニヒリズムに染まった青年スタヴローギンを祭り上げようとした革命組織が、彼を失った末、結束力を高めるために仲間を殺し、壊滅していく。
ニヒリズムや、無神論、社会主義がテーマになっており、強い信仰心の持ち主であったドストエフスキーはこの作品で、当時ロシアに流入しはじめた社会主義思想の無神論ぶりを痛烈に批判している。とにかく社会主義者の皮肉が強烈で、もちろん、スターリンの政権下においては真っ先に封印された。
未成年
ドストエフスキーの作品の中でも特にハードルが高い難解な作品。
主人公アルカージイの手記の形をとり、彼が父ヴェルシーロフの過去を追ったり、ロスチャイルドのような富と名声を手に入れようと苦悩したりする姿が描かれる。
カラマーゾフの兄弟
ドストエフスキーの最後の長篇。一般にドストエフスキーの最高傑作と呼ばれ、ひいては世界文学史上最高の作品の1つとしてさえ評価されることもある傑作。
大地主の家に生まれた、ドミートリイ、イワン、アリョーシャの3人のカラマーゾフ兄弟を中心とした物語。三男のアリョーシャを主人公として、彼らの父フョードルが殺害された事件と、その裁判を巡る様々な人間模様と出来事が描かれる。
兄弟と父の複雑な関係を描く家庭小説でもあり、ドミートリイとその恋人などの恋愛を描く恋愛小説でもあり、父を殺した犯人を追う推理小説でもあり、そしてドストエフスキーが生涯にわたって描いてきた宗教的社会的思想を描いた思想小説でもあるという、まさに集大成的作品。
3C政策
3C政策(さんCせいさく)とは、19世紀後半から20世紀前半においてイギリスが推進した世界政策で、カイロ(Cairo)、ケープタウン(Capetown)、カルカッタ(Calcutta 現コルカタKolkata)を鉄道で結ぶ植民地政策をいう。3都市の頭文字”C”をとり、3Cと呼称される。推進者であったセシル・ローズの名をとって、「セシルの夢」とも呼ばれる。
アフリカ大陸を南北に縦貫し、あわせて「インドへの道」を南北双方から確保しようというもので、アフリカ縦断政策に対してはアフリカ横断政策をとるフランスと、また、中央アジアから・アフガニスタン・ペルシア方面へと南下政策をとるロシアとも対立したが、その都度妥協の成立に成功した。
しかし、19世紀末ころよりドイツ帝国のとった3B政策とは衝突、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世とのあいだには妥協が成立せず、ヨーロッパで三国協商対三国同盟という図式が成立して、サラエヴォ事件をきっかけに第一次世界大戦を引き起こすことになった。
第一インターナショナル
1864年ロンドンで創立された国際労働者協会の通称。世界最初の労働者の国際組織。マルクスが創立宣言を起草,労働者の団結と解放を目的とし,パリ・コミューンを支持し,ヨーロッパの労働運動に大きな影響を与えた。