自分の臨死体験

Near death experience

臨死体験(りんしたいけん、Near Death Experience)は、文字通りに言えば“臨死”、すなわち死に臨んでの体験である。英語ではNear Death Experienceと言い、日本語では訳語が「臨死体験」以外にも「近似死体験」などいくつか存在している。wikipediaより引用

大きな始まりはこの日かもしれない。

2011年 3月11日 金曜日 14時46分18秒、M9クラスの地震が福島沖で発生。 日本観測史上最大の地震である。そして自分は関東に住んでいる。

がたがたがた、、。

眠りの向こうでなんか、あっ、揺れている、まだ寝ぼけながら、また深くいつもの如く、眠りにつくつもりだったのだが、あまりの揺れに飛び起きた。これはまずいかもしれないと思い、寝ぼけまなこで、そのままトイレに直行、揺れが収まるだろうと高を括っていたが、益々揺れは大きくなり、立ってる足も覚束ないので壁を手でおさながら用を足した。いやビックリした。まだ揺れてる気がする。

落ち着いたころ、買い物に行く用事があったのでそのまま、何事もなかったかのように出かけて行った。すると隣町は信号の電気が消え、キョロキョロ首をふりながら車たちは徐行していた。コンビニのドアも当然電気で自動に開くものなので、手動で店員さんがドアを開け、お客様の人数規制して店舗の中に入れていた。そして用事のある店舗の前につくと瓶が棚から落ちて、沢山の瓶が割れて中の液体が漏れ、営業どころではないと断られた。その頃にやっと深刻さを感じ始めていた。店舗に帰るとすぐさま普段つけないテレビをつけた。

報道から流れてくる映像をみて驚愕した。大きな津波が家々を飲み込み、田畑で逃げ惑う車、人々を飲み込んでいった。まるで映画か、なにかの間違いなのでは?と感じるほど、想定にない未曾有の災害だった。

その頃ガラパゴス携帯から買いかえたばかりのスマートフォンから警報が幾たびも鳴った。続く余震にびくっと心臓がその度に縮む。東北の方達は、これからどうなるのだろう?という心配と自分には、一体なにができるのか?という感情が沸いた。そして自分は経営し始めでまだ借金もあり、自粛ムードでお客さんがこれで来なくなるという心配が、何度も頭にちらつかさせた。そして自分の従業員の実家も被災されて今日は来れないという事だった。案の定、その日は相当な暇で、一人だけお客様が来られた。しかし喋り相手がいて何となく安堵したのと心配と恐怖の入り混じった複雑な気持ちがした。そしてあくる日、原発という理解のないものが爆発したという事を耳にすることになる。

一号機が三月十二日午後三時三十分頃 大爆発が起きてしまう。

政府は、回答が大幅遅れた。そして恐ろしさを感じたのが、念のため、屋内に避難して下さい。また、外出する際は肌を露出しない事やマスク着用、また雨に当たらない事が報道されていた。

福島第一原発について記者会見

「既に報道もされておりますとおり、福島第一原子力発電所においてですね、原子炉そのもののものであるということは今のところ確認されておりませんが、何らかの爆発的事象があったということが報告をされております。」

その後、十八時二十五分、官邸の指示で、福島県は避難指示を半径二十キロ圏内に拡大する事になる。同時に放射線量が三時を最後に計測されていないと発表。

三月十四日、三号機が十一時十一分また建屋が水素爆発を起こした。その時の爆発で、きのこ雲が成層圏まで立ち上ると推定。

報道では「屋内避難。」枝野官房長官は「格納容器は健全に保たれている」。

だが3号機からは、しばしば煙が立ち上る。

三月十五日、福島第一原子力発電所の四号機の原子炉建屋から炎が上る。

それに伴い、原発の半径20キロ以内からの避難と屋内退避要請。

チェルノブイリ原子力発電所

その頃、耳慣れない原子力爆発事故、聞いたことがあったのは、1986年4月26日にソビエト連邦のチェルノブイリ原子力発電所で国際原子力事象評価尺度 (INES) において未曾有のレベル7に達した原子力事故だった。

この頃自分は小学生でチェルノブイリの原子力事故があったからパスタが危険らしいとか酸性雨にぬれると頭がはげるとかネットのない時代のリテラシーなどそんなものである。小学生だったこともあり、遠い国で自分には縁遠い話というか、まったくもって実感もなにもなかった。残念なことにそれが貴重な事象な出来事になった。

リテラシー

恥ずかしながら、三十も過ぎてテレビから流れてくる福島第一原発の爆発事故を目のあたりにしてまず襲ってきたのは虚無である。なにをどうこう判断することが全く出来なかった。判断というものは、経験や学習の上に基ずくものであって、はじめての出来事になにか漠然とした危険は察知するのだが、知識の少なさからくる思考停止で脳内が固まった。なので、その件に関しての知識を渇望していた。原発関連の本やメディアをむさぼっていた。そのあたりで徐々に皆と自分との間に意識の差に開きがあることを実感しはじめた。

皆は原子力事故が起きた後とそれ以前がそんなに変わっていないように見受けた。というか世の中は関東でも多かれ少なかれパニック状態だったかもしれない、ガソリンスタンドは長蛇の列をなし、スーパーマーケットでは食品がドンドン消え始め、計画停電なんかも始まった。でも至って冷静なのか思考停止状態なのかはわからないが、世の中の様相と自分の心持ちが比例せず開きがさらにできた。原発の事は誰も口にしない。あの時は怖かったと言う位で、もう大半の人が過ぎ去った事故な雰囲気で、この事故で始まってしまったと思っていた人が皆無だった。それがまた皆と逆のベクトルに動かした。皆が調べていたら自分は執着して調べることはしなかったかもしれない。その時からなにか鬱々と思考することにどっぷりとはまっていくのである。

教訓

自分が外国に住んでいる時、なにかトラブル起きれば、自分が被害者でも自分のことをマネージメントできていないことを小ばかにされながら怒られる、つまりお前も悪いよと。財布が盗まれれば、隠して所持していたか、分散してお金を管理していたか、治安の悪い場所にノコノコ歩いていないか?自分への管理能力がが問われる。つまり原子力が爆発した後、想定するハザードをどのような形でクリアしていくかが、皆に問われていくことになるだろうと。

地震の当日から三日間ぐらいは携帯にチェーンメールとか震災情報が錯綜した。なにが真相か流言飛語か?官邸の発表ではこうで、報道機関の発表はこうだとか。自分の日頃のメディア・リテラシーが問われる瞬間である世の中にある数え切れないほどの沢山の情報メディアを主体的に読み解いて必要な情報を引き出し、その真偽を見抜き、活用する能力を試される。

そんなとき疎遠だった友達が急に大事な話があるといって電話をかけてきた。今福島はこんな話があるとか、関東ではあんな話があるとか、未曾有の大震災ということを必死なトーンで話してくるのだ。ある大学で空間線量の調査し、とても線量があがっているというのを聞いた。なので外出はならべく避けたほうがいいという話だった。大事な人にはこの話をしてあげてと言っていて政府はパニックになるから公表しないだろう、もしくは近々発表すると言っていた。

その頃、田舎に逃げるって言う人もいたが、大抵そういう人は白い眼をされていた。この危険なフェイズというか、よくわからない状態は一旦セーフティな場所に身をゆだねるのはそんなに悪い判断だとは思わない。いや、むしろ明快な判断だと思う。真相は2か月後にわかるのだが、東京電力は福島第一原発事故の際、発生から3日後にはメルトダウンを確認していた。

その二か月間自分はこれはメルトダウンしているのでは?と話をしていると皆に苦笑され、大丈夫かね君?と白い眼をされ続け、緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステムSPEEDIがツイッターから流れてきてこれは関東もまずいかもしれないと思っていた。

土砂降りの雨に濡れている小学生や雨の中テニスをしてずぶ濡れの方に「この雨には濡れないほうがいいですよ」というと「ほら、やっぱいるのよ、こういう風評被害を垂れ流す人」といわれたり「大丈夫だよ、だれがいってんの?テレビがいってんの?ラジオがいってんの?」と詰め寄られた。だが、しかし真相はメルトダウンしていたのだ。

確かに今思うと報道機関が言わないという事は大半の人達は、エビデンスのとれてない話だから流言飛語や風評被害になると理解するかもしれないが。テレビやラジオや新聞で報道されたらなんでも鵜呑みにするのか?世の中で本当にダイレクトな情報は一つもない。それは情報が人にわたった瞬間に自分の中のフィルターを通して、バイアスが多かれ少なかれはいりこむだろうし、データー量、そのデータを分析する力などが入り込む。となるとデータ量とムラがない収集、例えば自分の意見の反対側の人達の意見に耳を澄ますことによりみえてくることがあったりする。最後は自分の情報リテラシーと直観力だと思う。

SNSの情報は流言飛語か真実か?仕事の暇さも相まって、むさぼるように読んだり聞いたりしていた。当時、身に降りかかる問題で皆に直結する問題ととらえていた。適正なエビデンスと伝えなきゃいけない事と風評被害、流言飛語のバランスはとても難しいことである。政府が黙っていることがありそうなときは、バランスよく情報を摂取する。そのとき風評被害だと言われた時の自分の顔が不服そうな顔の表情にでていたのか、なんなのかはしれないが客足がどんどん悪くなっていった。

原発ノイローゼ

そして震災と経営のストレスで痩せていった。報道番組のテレビが常についていたのでぽぽぽぽーん!の広告機構のCMが途切れなく頭にこびりついて鬱々とした日が続いた。自分一人で解決できる問題ではないし、誰も信じられなくなっていた。その頃、自分は原発ノイローゼだったかもしれない。

そして、ある夜ついに不思議なことが起こるのである。

ある夜、仕事が終わって欝々と近くのコンビニで飲み物を買って家路についた。お客さんもこないし店もたたもうか、これからどうしようかと困惑しながら深く考えていた。するとあまりの精神的重圧に息の仕方がわからなくなってしまったのだ。息をするのは自分が意識的にしているものではなくて普段、呼吸は意識しなくても自律神経がちゃんとコントロールしてくれているのだが息の仕方がわからない、、、

完全に呼吸困難、パニック症候群かもしれない、、、苦しい

臨死体験

意識朦朧としている中、自発的に息を吐いて吸うことをすれば生命維持ができることはパニック状態のなかでも理解することができたので吸って吐いて吸って吐いてを意識しながら続けていたのだが、どれぐらい吸ってどれぐらい吐けばよいのかがわからない過呼吸状態になってきたのでコンビニの袋を口にあてて息を続けてベットに横たわった。意識朦朧とするなか上を見上げるとそこの天井にキラキラしている幾何学状の円形のホログラムのようなものがくるくると中の模様がまわっていた。

ああ、これはやばい、低酸素すぎて幻覚を見だしている。死んでしまうのかも、借金もあるのに、ふざけるなとおもった。まだ連れて行かないでくれと必死に心の中で思った。するとその幾何学の模様の横にうねうねしたニョキニョキしたホログラムのような有機物のような無機物なような海洋生物のようなものがうごめいている。なんだこれはとおもいながら必死に呼吸をした。すると次の瞬間、宇宙にいるのだ。

そして横に伸びる棒状なきらきらな星たちの集積したものが目の前にあって、「左にいったら過去で右に行ったら未来だよ。好きなところいっておいで」頭のなかにしゃべりかけてくるものがいる。どこかにいった気はするのだが、断片的にしか覚えてない、星の噴水みたいなシャボン玉のようなものを覚えている。これは絶景というか、光のシャワーがぶわっと、吹き出ていた。とても綺麗なものだった。あと「お前がみている世界ははおまえが作り出している。」とか「全てはひとつだ。」とか言われた。いろいろレクチャーされているのだが、パニックであんまりよく覚えていない。例えば、鉄砲もった人にいきなりビルとビルの間に綱を張って数学を解けと言われて、綱を渡って、その数学の問題なんだったって問われても覚えてないという心的状況で非常にパニックしていたので、あまり詳細なことまで記憶できていない。

この後なにをしているんだろう帰らなきゃと思うと暗いトンネルの中にいた。上を見上げるとそこに光が差し込んでいるので、泳いで上の光に向かわないといけないと思い、上がっていくといろんな人たちが手をこっちに来いと手招きするので、光の差し込むほうに導かれていく。その手招きをするなかに現在生きている人もいた。それは脳科学的に言うと側頭葉が異常活動すると経験がよみがえるらしい。ちなみその後、脳の中心や首の上の後ろのところが中から痛いというか違和感を感じたのだが、そこは臨死体験者はみんなそこの脳の部位に違和感があるらしいです。

そのトンネルのシーンは松本人志のしんぼるを臨死体験後に見たのだが、ラストシーンと似ているので驚いた。

自分は生きている

そして光の中に出た瞬間にまたベットの上にいる。んん、自分は生きている。なんだこれは?パニックである。そして呼吸ができる。放心状態でしばらく固まっていたが、ようやく動きだして鏡の前にいくと顔がシワシワで浦島太郎状態で写真をとろうか迷ったが、とったらこのままになるのではと思い本能的にやめた。そしてすべてがわけがわからない。考えても無駄なのでそのまま就寝した。浦島太郎の話は臨死体験の話だと思う。しかし就寝できるとは、、今思うと図太い精神だと思う。普通寝られないのがセオリーだと思うけど、寝た。そして目覚めてシワシワが心配だったので真っ先に鏡をみたら元の姿にもどっていたが、やはりあれは夢ではないと思い、すぐさま昨日あったことをパソコンで調べた。すると左に行ったら過去で右に行ったら未来みたいのを調べていたらこれに出合う。

アカシックレコード

アカシックレコード(英: Akashic Records)は、元始からのすべての事象、想念、感情が記録されているという世界記憶の概念で、アーカーシャあるいはアストラル光に過去のあらゆる出来事の痕跡が永久に刻まれているという考えに基づいている。宇宙誕生以来のすべての存在について、あらゆる情報がたくわえられているという記録層を意味することが多い。アカシャ年代記(独: Akasha-Chronik、英: Akashic chroniclesアーカシャ記録アカシアの記録[)とも。近代神智学]の概念であり、その他の現代オカルティズムの分野(魔術等)でも神智学用語として引き合いに出されることがある。また、陰に陽に神智学運動の影響を受けている欧米のニューエイジや、日本の精神世界・スピリチュアル、占い、予言といったジャンルでも使われる用語でもある。アカシックレコードが存在する科学的根拠はない。(引用 Wikipedia)

とある。知り合いの方がアカシックレコードを語っていて、それはなんですかと尋ねたら、うーん宗教用語ですかね、といっていたのだが、その頃宗教アレルギーだった自分は聞き流していた。しかし、これは興味があるというか、こんなことになったら聞きに行くしかないと思い、アポイントをとって夕方お話をきいてもらうことにした。昨日あったことを喋ると、相手は頭大丈夫ですか?と尋ねられるのを想定していたが、返答された一言目はアカシックレコードにアクセスしたんですか?だった逆に驚いて聞いてみると、自分も中学の時に病で頭を開いたことがあってそれからアカシックレコードが気になって調べているんだよと言われた。世の中には不思議なことがあるものだと、、、現実は小説より奇なり。

五次元空間

そこはおそらく五次元空間だと思う、一次元が点、点も考えると点のもとになる特異点とか、考えだすと深淵だ。深淵こそ点だ。ブラックホールとかホワイトホール。量子力学とニュートン力学を結ぶ標準理論とか。点は深い。二次元は平面。フラッドランド。三次元は縦横高さそれに時間の連続性を足して四次元。さらに時間の制約がなくなる次元が五次元。

木内鶴彦さんという臨死体験者がいるのだが、それをレコードに例えていた。針を置いている部分が今、音が流れているのが過去で針の位置は自由に変えられる。そんなようなことだった気がするが、まさにそこは五次元だと思う。

この世の中に余剰次元があるのかはCERNが実験している、リサランドール博士はそんな研究をしている。インターステラーの映画にもでてくるのは、恐らく五次元。理論物理学者キップソーン監修。あれはアカシックレコードの概念だと思うよ。正直、あの映画を見たとき、あの時の精神状態にまた戻って、精神興奮状態に何時間か陥った。自分が経験した概念にそっくりだった。軽いトラウマ状態というかこの世の現実感がなくなるというか、SFの世界が現実になっているというか。

信じられる話ではないと思うし、簡単に信じてはいけない話だと思います。こういう類の話は。自分も一生疑うし、そしてなにかを信じる。左と右の真ん中に真理は隠されている。政治も生き方もそう思う。目指すものは真ん中だ。貧乏も知って金持ちも知って狙う真ん中。だから端と端は大事、始まりと終わりは大事。それを知らないと本物の点を指すことはない。

フラワーオブライフ

leonardo da vinci flower of life

それからさらに調べていくと最初に幻覚を見たときに浮かび上がった幾何学模様は神聖幾何学というものらしくフラワーオブライフという模様らしくオシリス神殿の壁にも原子レベルで刻み込まれているらしいのです。これはちょっとずつ記事にしていこうと思います。




サグラダファミリア

あとスペイン料理を調べているとサグラダファミリアって書いてあって聞いたことはあるけどなんだこれはと思い調べてみると聖書を建物にするとサグラダファミリアなのでそうです。「生誕のファサード」「受難のファサード」「栄光のファサード」「信仰のファサード」その生誕のファサードにあのニョキニョキが似ていると思いガウディのサグラダ・ファミリア聖堂外観スケッチを見るとさらに似ている。

あと岡本太郎の彫刻。

こうやってみると二つは全然違うものに見えるが、自分が見たものには二つともよく似ている。

臨死体験後

それから臨死体験後一定期間これが霊力なのかなんなのかはわからないが、買い物をするとお釣りの数字が揃っているのがずっと続いたり、シンクロニシティが頻繁に起こったり、加持祈祷しているのが、お寺のだいぶ手前からわかったり、お線香なんか焚いていないのにすごい香りがしたり、部屋の中で暖簾がだれも通っていないのにふぁぁさっと動いたり、UFOを頻繁に見るようになったり、五芒星か六芒星か忘れたが、そのような雲をみたり。ああ、こういうのはある世界なんだと思い、瞑想を始めるとキラキラしたのが空中を漂っているのが見えたりしていましたが、その頃、自分は悟りを開いた。と本気で思い込みました。その頃霊力みたいのが身についていたし、直感でいろいろな事が自分の中にあふれ出た。物理学の特異点的なことを考え出したりしていました。自分にはそんな概念なかったのに。あとアトランティス大陸みたいのずっと書いてた。都市計画を考えていた。しかしだんだんそういう力もなくなりました。でうっすらまだ、お寺とかいくとわかります。こういう力はあったほうがいいのか?ないほうがいいのかはわかりません。あればあったで疲れるし、なければないでつまりません。あと自分みたいに少しかわった力を持つと悟りを開いたと勘違いするひとがいるらしい、自分のように。でもちょっぴり悟ったかも、五次元があり、過去と未来を選べる。そして全ては一つだ。

でこういう感じをニューエイジっていうらしいね。よくわからないけど、ジャンル分けされてもねと思うけど、世の中同じような体験や感じ方をしている人がいる、共感できる人がいると思うと心強い。大体気がふれているんだね、ゆっくり休みなさいと言われる。これはこれでありがたいけどね。不思議な話はしないほうが、世渡りしやすいけど、いいのかねそれでと自分に思う。一寸の光陰軽んずべからず

「お前がみている世界ははおまえが作り出している。」

「お前がみている世界ははおまえが作り出している。」

と言われたのだが、それがわかった気がする。マンデラエフェクトをご存じであろうか?恐らくこれは真実であって、自分の意識で自分の意識に近い違う世界にシフトしている。なのでこの世の中は小乗仏教ワールド(上座部仏教)的なのではないかと今は思っている。

それから自分はこのような未知で不思議な世界に興味深々です!さらに色々な角度で探求して皆で共有出来たらいいと思います。興味があったらブックマークのほうよろしくお願い致します!

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さぁ未知の世界へ出発だ!

vybz scope

そして自分が味わった臨死体験とかなり似ている動画をみつけた。やはり同じものを体験している人がいる。

ではベルトをしめて再生を!良い旅を!HAVE A NICE TRIP

おすすめのサイトまとめ

セイクレッド・スター

sacred star
「セイクレッド・スター」 ~魂の故郷への旅立ち~

http://www.nersrch2020.sakura.ne.jp/books.htm

ここのサイトのスピリチュアルなことが書いてあります。自分の臨死体験と話がかぶります。
やはりこのような世界があるのだなと認識しました。セイクレッド・スターおススメです!

2CHスレ

人生やり直したいやつ俺がタイムリープしたときのこと教えるから来い

このスレのポイント

世界はつながってるけど横並びじゃない、時間も関係なく縦横無尽に繋がっている
死ぬのも怖くない、どうせ死ぬときに違う世界にとんでまた繰り返すだけだろうし
この世界の繋がりから抜け出す方法の方が今は知りたい

という事を発言されているのだけれど、今自分も死んでる世界もあって、今ブログを書いている自分もある世界はあって、同時にいろいろな世界があるのだろうと思う。平行宇宙とか多世界世界は物理学のモデルでもあるわけだが、この世界はそうなっているだろうと思う。このスレは興味深い。そして時間を飛び越えているわけだけれど、そこで得た心の境地は解脱なんだなと、、、深いです。ドープ。

http://world-fusigi.net/archives/5638489.html

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