イルミナティカードの予言 Ver317 反トラスト法編

Antitrust Legislation 反トラスト立法、アンチトラスト法

市場独占を非合法化することにより、市場における自由競争を促進することを意図した法律

反トラスト法ともいい,アメリカの独占禁止法制のことである。アメリカの独占禁止法が〈反トラスト法〉とよばれるに至ったことについては,歴史的理由がある。アメリカでは,南北戦争後急速に大企業体制が確立し,石油,鉄道,砂糖その他多くの分野において独占が成立したが,これらの独占は〈信託trust〉の形態をとるものが多かった。

すなわち,スタンダード石油トラストを例にとると,スタンダード系各社が自己の株式を〈受託者評議会board of trustees〉に信託し,この評議会がこれらの株式に基づく議決権を行使して,各社を支配管理するという方式が用いられた。1911年には、スタンダード石油が36社に分割される。

反トラスト法/シャーマン反トラスト法/クレイトン反トラスト法

19世紀末からアメリカで制定された、独占資本の弊害を防止するための立法措置。

 19世紀後半の独占資本の急激な形成に対し、それが自由主義経済の減速である公正な自由競争を阻害し、消費者の利益が損なわれることを危惧する声が強まった。

特にアメリカ合衆国においては独占の形成が急激かつ巨大であったので、その弊害を防止する必要が生じ、1890年にシャーマン反トラスト法が制定された。

これは自由競争を理念とするアメリカ合衆国の健全な側面として評価される点であるが、アメリカ帝国主義はそのような健全さを押しつぶして、自己増殖していった。

独占側は様々な方法で自分たちに不利な律法を阻止しようとして議会に圧力を加えたり、懐柔したり、または骨抜きを狙った。

1914年にはクレイトン反トラスト法が制定されたが、立法では独占の形成を抑えることは困難であった。

シャーマン反トラスト法

1890年制定のアメリカ合衆国最初の独占を禁止する法律。アメリカ帝国主義が形成される中で、ロックフェラーなど、独占企業の台頭に対し、それが自由主義経済の原則である公正な競争を脅かし、価格の高騰をもたらす恐れがあるとして、国民生活全般の利益を守る立場から独占の形成を制限しようとしたもの。

第1条では共謀を禁止し、第2条で独占および独占の企図を禁止している。

また同法の施行のために、司法省反トラスト局が設置された。同法によって各州間および外国との取引を独占または制限するいっさいの企業の結合や共謀を違反とし、制裁が規定された。
ザル法だったシャーマン反トラスト法(引用)19世紀末の企業の集中化に対し、伝統的な機会均等・自由競争の立場からも、独占反対の激しい抗議が行われていた。

州レベルでの反独占党という第三党も存在していた。独占反対のムードがあまりにも強いため、1888年の選挙では、共和・民主の両党とも独占規制をその政綱に掲げていたほどである。

1890年、上下両院全員一致で、シャーマン反トラスト法が成立し、この公約は果たされた感があった。

しかし、全員一致で成立したことが逆に示すように、同法は反トラストという名目をとなえることによって選挙民にこたえたが、実質的には反独占の機能をいささかもはたすことなく、いわゆるザル法であり、1890年代、企業の集中は同法と関係なくますます進行していった。

<斉藤眞『アメリカ現代史』世界現代史32 山川出版社 1976 p.50>

ロックフェラー財閥の解体

20世紀に入りセオドア=ローズヴェルト大統領(共和党)は議会の要請を受けて独占制限を強め、最高裁判所で4年以上にわたる裁判の結果、1911年にはシャーマン反トラスト法を適用してロックフェラーのスタンダード石油の独占を有罪として33社に分割する命令が出された。

また、タバコの独占企業であったアメリカン・タバコ社も4社に分割されている。

クレイトン反トラスト法

独占企業側は新たに持株会社方式などを編み出して独占の維持拡大を図ったため、1914年、民主党のウィルソン大統領の時、クレイトン反トラスト法を制定して独占の制限内容を強化し、持株会社・重役兼任などを禁止した。

特に第7条で、企業の株式または資本の取得による独占の進行を阻止しようとしたことが重要とされる。

ねらいは独占的企業活動を抑制し、競争による価格引き下げによって消費者(一般大衆)の生活を守ることにあった。

さらにこの法律の線に沿って、連邦商業委員会を設置し、各会社が「公正な営業行為」を守るよう強制する権限が与えられた。これはウィルソン大統領の唱えた「新しい自由」の政策の一環として出された。

クレイトン反トラスト法は労働者階級の要求を多く採り入れていたので、アメリカ労働総同盟のゴンパース会長は、この法律を「労働者の大憲章(マグナ=カルタ)」とよんで称賛した。

実際には司法の解釈によって運用は曖昧にされ、実効性を十分発揮することはできず、独占の形成は法の目をくぐってその後も続いのであるが、弱者である消費者を守るために資本主義の自由放任の弊害である独占の形成を法的に規制するという原理は、現在の日本の独占禁止法に継承されている。

http://www.y-history.net/appendix/wh1401-135.html