イルミナティカードの予言㊿ポリティカル・コレクトネス編

POLITICAL CORRECTNESS

ポリティカル・コレクトネスとは政治的に公正・公平・中立的表現。

しかし公正・公平・中立的表現なんてものは定量化できるものではないから、そもそもポリティカル・コレクトネスなんてものはあってないものだが、このカードは二人の男が吊るされている。これは強権政治である。

今の世の中本当にこのような状況が到来している。森友学園の工事業者も自殺かどうかは疑わしい。これは非常に危機的状況でさらなる独裁、強権が行われようとしている。あまり危機感のないポリュリズムに流されてはいないだろうか?

右とか左とか分けて政治を語る人は大勢いるだろう。しかしこれはかなり政治誘導されている。今の右的思想を揶揄すると、「お前は赤だ!共産主義者か!」と返す刀で言ってくる方がいますが、そもそも右以外は左ととる思考システムが分断統治つまり政府が統治しやすいように混乱を招くのです。

そもそも自分は愛国主義者だが、なにか今時代を流れる修身論は違うものに変形しているのではないかと思う。森友学園のような。あれは洗脳である。愛国とは醸し出るものであって、人に押し付けられるものではない。アイデンティティの欠如した個としての公の基軸線のない世界市民的な発想はお花畑である、現実には成り立たない。国家がない概念はありえないのである。また共産主義も文化大革命をみてもわかるように悲惨であるし、成り立たないのである。

今の時代資本主義でも、共産主義でもない新しいシステムを考える時が来ているように思う。プラウト主義経済が自分には一番しっくりくるが、皆はどうであろうか?提案したいのでプラウト主義経済を今後記事にしたいと思う。

しかし、そもそもこの国の教育の在り方がおかしい、歴史教育は近代史はさらっと流れていく、1番アイデンティティをはぐくむ場所だが、個と公の概念が形成されないように教育しているとしかおもえない。GHQの思考洗浄がされてきて今に至るのだろう。愛国心が育たないように教育されているのである。日本が悪いことをしてきたんだと徹底的に思想に刻み込んだことであろう。

日本人は島国なので日本人としか関わらない方も沢山いるだろう。機会があれば外国で生活してみれば自分が日本人であることを痛感することであろう。愛国者というと右翼かと発想するかたもいるかもしれないが、ごく普通の事である。自分が好き、家族が好き、仲間が好き、この土地が好き、この国が好き。ただそれだけの延長線であるにもかかわらず。また親が好き、じいちゃんが好き、ひいじいちゃんが好き、このように連綿と続いていくだけの話である。自分の子供が好き、孫が好き、ひ孫が好き、おなじである。時間と空間の縦と横。

この地球が好きもありなのだけれど、政治的には超えなきゃいけない壁がある。話し合えばわかるはこの国だけである。文化風土もろもろの基軸線があるからある程度のソフトランディングできるところがあるとという前提で政府は成り立っている。

またこの国の政治のシステムは間接民主主義なのだが、有権者から支持を得て政治家になったのだから政治家がすべての基軸を決める。それに文句をいうものは民主主義の破壊であるとよく聞きますが、そこでいう民衆主義は本当の民主主義ではない。トロイの木馬である。国民主権ではないのである。ではどう政治を運用するのかねとよくいわれるが論点が違うのである。だから直接民主主義枠みたいのも必要であると考える。というとポピュリズムは感覚でいうから現実を帯びないから危険であるというが、今の政治は国民の事など二の次なのである。

また再配分というと左とみられる、どういう理由か全く理解できない。再配分するのがこの国の政治の役割であるにも関わらず。そもそも政治の基礎とか、ディベートという概念が一般的にないのではないかと思っている。怖いことだと思う。国会議員は弁が立つ、黒も白に変える技術はデフォルトでもっている。それを大衆は受動的に飲み込んで世論形成されていくのである。

不正選挙疑惑もあるのにかかわらず、そんなものはないと一瞬で調べもせず、一掃するのである。これがまた支配層に永遠に国民は奴隷にされている。奴隷であることに気が付くべきなのである。

FRB、日本銀行、通貨発行権、特別会計、調べるべきだ。目が覚めるときがくるかもしれない